「不動産と株でひとり経営」

地方で不動産賃貸と株式投資で生きています。思った事や感じた事、投資や書評について書いています。

私の父 〜壮絶な人生から学んだ事〜

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おはようございます。なごみです。

 

尊敬する経営者は?

と聞かれたら私には父しかいない。

 

そんな父だが4年前にALSという病を発症し、最後は心臓の筋肉が動かなくなり亡くなった。病気が発覚後も死ぬまで、「つらい」「苦しい」「死にたい」などは一言も言わなかった。

 

父の学歴は中卒だ。それは不良だったからではない。

 

幼い事に両親を亡くし、弟を高校に行かせる学費を得るため自分は中学を出て働く事を決めたそうだ。

 

私は父の事をずっと冷たい人間だと思っていたが、このエピソードを聞くとそうは言えない。

 

従業員2人の製作所で朝から晩まで働いたそうだ。

 

そんな父も結婚し、私が生まれる。

 

私も小さい頃は貧乏でおもちゃもあまり買ってもらえなかった。

 

ある日父の会社が経営難のため店を閉める事になった。

 

これが大きな転機になる。

 

学歴のない父がやれる仕事はトラック運転手くらしかない、と教習所に通ったそうだ。

 

だが父が選択した道は自営業だった。

 

持っていた土地で小さなコインランドリー店と洗車場を初期投資して始める。

 

これがバブルの風に乗り大ヒット。土日には長蛇の列ができ連日フル回転だったそうだ。

 

ビジネスモデルとしては強い、現金商売で一人で経営が可能だ。

話に聞くと税務調査が入るほど儲かったそうだ。

 

その時はやっと人並に暮らせるようになってきた。

 

それでも父はお金には厳しかった。

それは浪費してたからではない。

次の大きな投資のためストックしていたからだ。

 

そして時は経ちバブルは終わる。

 

当然コインランドリーも洗車場も売り上げが激減。

 

当時バブルがはじけ土地の価格は安くなっていたそうだ。

 

すると父は、商売で貯めたお金で次々と土地を買収していく。

 

不動産会社を通さず、バブルで踊らされて苦しくて土地を手放したい人に直接話を持ちかけ次々と土地を買収していった。

 

その土地約1万平方メートル。

 

大地主の出来上がりだ。

 

そして次は銀行から融資を受け次々とマンション、貸家を建てて人に貸していく。

 

これで家賃収入の出来上がりだ。

 

とても自分には真似できない。

 

そして60歳からは海外旅行とゴルフを趣味としゴルフの腕前はセミプロレベルだったらしい。

 

そしてALSを発症、徐々に動けなくなり最後は心臓が動かなくなって亡くなった。

 

そんな父から学んだ事はたくさんある。

口下手で決して流暢な言葉では話さない。

きっと家族を養うため、刺し違える覚悟で商売していたにちがいない。

 

その凄みをいつも私は背中で感じていた。

 

次は私の番だ。