「不動産と株でひとり経営」

地方で不動産賃貸と株式投資で生きています。思った事や感じた事、投資や書評について書いています。

地元を出たいと決意した日

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おはようございます。

 

今日は自分の過去を少し綴りたいと思う。

 

私は中学時代にいじめにあったため、少し離れた地元の進学高に入学した。

新しい環境、新しい友人。自分の過去を知る人がいない場所は最高だった。

 

授業が終われば大好きなサッカーができ放課後が楽しみで仕方なかった。

部活で頭角を現し、1年目からレギュラー、私はFWでヘディングは苦手だったが、スピードとテクニックには自信があった。

 

中学時代にサッカー部に所属していたものの、いじめが原因で行けなくなり、毎日公園で1人で練習していたからだ。いわゆるストリート仕込みのテクニックというやつだ。

 

私の足元のテクニックは地元の高校でも十分に通用した。

友人もでき、2年の頃には念願の彼女もできて童貞も卒業。

全てが順風満帆だった。

 

しかし、田舎ではどの学校でも幅を利かす不良が苦手だったくらいだ。

心の中で、こんな田舎、馬鹿ばかりだな、と蔑んでいた。早く県外に出たい。

 

そんな中、3年になり進路を決める時期に差し掛かった。

私は授業を聞くのが苦手で成績は悪く、特に数学の微分あたりから全く分からなくなった。

 

私はどうしても県外の大学に行きたかった。

田舎の人間が、正当な理由で県外に出る、唯一で最後のチャンス、それが大学受験だ。

 

新しい環境、新しい場所、新しい友人、それらの刺激を欲していた。

両親は地元の国立大学を望んでいたが、数学ができない私にその選択肢はなかった。

それでもFランにだけは行きたくなかった。自分がダメになるような気がして。

 

そして、受験大学を選ぶ時、1つの大学しか受けなかった。

数学はなく、3教科、かつマークシート。ここしかないと思った。

 

それが龍谷大学法学部だ。

先輩にはあのダウンタウンの頭脳と言われた放送作家高須光聖が在籍していた。

 

全国的にそこまで有名ではないが、歴史と伝統を持つ素晴らしい大学だと思う。

田舎の進学高から行けるギリギリのラインだった。ちなみに私の高校から早稲田、慶応に行けた人は1人もいない。最も成績のよかった人でも金沢大学が限界だった。

 

当時の偏差値は58。自分の3年の夏の時点での偏差値は40台。

担任には無理だと言われた。

その担任は数年後、女子トイレ盗撮事件で新聞を賑わせた。

 

私は死ぬほど勉強した。

彼女とは別れた。

数学は諦めて、英語、国語、日本史に全てを賭けた。

 

センター試験も無視して、龍谷大学の過去問ばかりを研究していた記憶がある。

赤本はボロボロだった。

 

そして試験当日の朝まで勉強を重ね、見事合格。

今まで生きた人生の中で最も嬉しかった瞬間だ。

 

普段は笑わない父が嬉しそうにしていたのが印象的だった。周りのみんなに自慢していた。

 

その後に数奇な運命を辿る事になるとも知らずに私は一人暮らしの期待、希望を胸に大学に進んだのだ。